頤を掴まれ、上を向く形になったのは私の顔。そして視界に広がるのは、泣く子も黙る…まではいかないかもしれないけど、誰もが恐れる盗賊集団の頭―らしい。―。

「やあ」

「やあ…じゃないですから」

どうして私みたいな一般人が、そんな恐ろしい人に目をつけられないといけないんですか。

頤にある手を離そうと、必死に引っ張ったりするけど、彼にはまるで効果がない。

「そろそろ名前を教えてくれても良いんじゃないかな?」

「嫌です」

「まあ、構わないか」

くすりと笑う彼にぞわりと悪寒を走らせ、これまで以上に逃れようとするけれど、彼は頤を持つ手ではない手で私の腰を抱き、逃がさない。

「それならば、それで面白い」

そう言って彼の顔が嫌というほどに近づき、唇が奪われる。

 

 

ああ、私のファーストキスが……。

 

 

唇から彼が離れると、その表情に顔を顰めてしまう。

「初めて、か?光栄だな。それならどうだ?これから先すべてを俺に委ねないか?」

「……はなして」

唇奪われるし、変なこと言ってくるし、なんとかして欲しい。なんで美術館の受付に座っていただけなのに、こういうことになっているの。

受付の小さなスペースは破壊されて、私は瓦礫に埋もれかけた。それがどうして彼の腕の中に居た。

私は人が目を惹く美貌など持っていないし、頭が良いのでもない。それにそんなに有名な盗賊がどうして……。

「それは、私を」

「殺すか?それははずれだ。俺の女になれ」

ふるふると頭を振る。そう私は怖くて泣きそうになっている。

「俺はクロロ=ルシルフルだ」

声に力がある人は本当に居る。彼もその1人。

「クク、能力者が来たようだな。残念だが我々の逢瀬の時間もこれまでらしい。実に残念だ」

クロロ=ルシルフルと名乗った男はそう言うと、私を解放した。そして彼を見ることが出来た。

黒い。髪も瞳も格好も。整った顔立ちは冷たい印象すら与える。額には十字架のような模様がある。襟元と手首に毛のような飾りのついたコート。

「逃げると良い。俺は必ずお前を手に入れる」

私に寄って来ようとするクロロ=ルシルフルに怯え、一歩後退する。

壁のある部屋ではなかったのに、何か硬いものにぶつかる。顔を動かし後ろを見遣ると、そこには別の男が佇んでいた。

何がどうなったのか分からないけれど、クロロ=ルシルフルと名乗った男と美術館を襲った盗賊集団は忽然と姿を消した。

そして私の後ろに現れた男はプロハンターだった。ハンターなんて目の当たりにしたのは、勿論初めて。有名なお店とかに行けば居るらしいけど、私の給料では美食ハンターの料理なんて買えない。このハンターは教えてくれた。

「クロロ=ルシルフルはハンターでも捕らえることが出来ないA級賞金首だらけの盗賊集団「幻影旅団」のリーダー。彼等に遭遇して生きていられた者は、少ない」と。

私はそんな怖い人に目をつけられてしまったの。

 

 


逃げ水の天籟

 

 


あれから数日が過ぎた。家から出る方が安全なのか、それとも家に居る方が安全なのか、分からなくて引っ越した。

資金的には苦しいものがあったけど、兎に角怖かったから。

ずっと忘れられないでいる。クロロ=ルシルフルが私に言ったこと。

『逃げると良い。俺は必ずお前を手に入れる』

怖い。

逃げたいと思うけれど、どうすればいいのか分からない。捕まったら、きっと殺される。

引っ越した家には家具があまりない。前に住んでいたところに置いてきた。此処にあるのは最低限のものだけ。

殺風景な部屋を見ていると、無気力になってしまう。もう、いいやと。

なんでこんなことに。

私は美術館のバイトで、受付に居た。そんな珍しい物を展示しているなんて、言ってなかった。

幻影旅団というものがどんな集団か詳しく知らないけど、そこまで有名なのだから高価な物が混じっていたのだろう。

あまり人気のない美術館ではすることがなくて、持って来ていた文庫本を読んでもいた。膝の上に乗せて向こうに見えないようにして。分厚い本だと重いので、今回は詩だった。

『まだあげ初めし前髪の~』で始まる大好きな詩。

学のない私だけど、この詩を始めて読んだ時に、憧れたものだった。こういう恋をしてみたいな。と―。

薄い本に微笑を浮かべながら読んでいると、館内から何かしらの破壊音が響いて来て吃驚して振り返った。館内にそんな音がなる装置はない。

どうすればいいのか立ち上がり、おろおろと右往左往していた。本は膝から落ちて付けていたブックカバーの挟む場所が外れ折れ目がつこうとしていた。

そうしていた所にドアが破壊されて現れたのが、クロロ=ルシルフルだった。

けれど私には彼の姿が見えなかった。唯突然ドアが破壊されたと思い、そちらを向いたら、彼の腕の中だった。

だから、分からない。

何故、私?

彼等が欲しがるような宝玉も財産もないのに。

泣きたくなる。

 

「随分、みすぼらしい所に移ったな」

窓のない部屋にすればよかった。窓が開け放たれ、そこに男が佇んでいた。美術館で会った時とは印象が異なる印象がある。

髪を下ろしただけでこうも人の印象が変わるのか。額の模様は包帯のように布を巻きつけている。暑いのか寒いのか分からないコートも着ていなくて、一見すると普通に見えるのは、クロロ=ルシルフルだった。

「言ったな。俺は必ずを手に入れると。なんだ、もう忘れたのか?薄情だな」

つつとこちらに寄ってくるので、私は慌ててドアに駆けて外に逃げた。旅団が退散した理由なのかまでは分からないけど、やって来たハンターは言っていた。

「彼等は目をつけたものは必ず手にいれる。そして愛でるだけ愛でると、売り払う」と。

靴を履いていない足で駆けるには、地面に色々と物が乱雑にありすぎて、赤い色を撒き散らしている。

 

「逃げられると追いかけたくなる性分なんだけどな」

 

す―と隣に魔法のように現れたクロロ=ルシルフル。足が止まる。

 

「教えて欲しいだけなんだけどな。自身の口から、名前を」

 

名前知っているのに。どうして訊く。彼は私の足を見て、指してくる。傷を負っていることは感覚で分かっている。

 

「俺のモノに傷をつけないでくれるかな」と彼は言った。

 

私は周囲をきょろきょろと見るが、誰も居ない。誰か居るのだろうか。

彼の言葉の意味は分からない。

 

「逃げても無駄だ。って言ったのに」

 

一歩こちらに近づく。私が後退しようと足を動かそうとするよりも先に私は彼に抱えられた。

「解くには、君が自身の名前を言うことになっている」

ふるふる。かぶりを振って彼を拒否する。

「俺が怖いか?」

クロロ=ルシルフルという犯罪者が言う。

「ずっと俺はを知っていたのに、か?」

黒い闇の瞳が、私の瞳を捉え放さない。

帰して。元の平凡の時に。それだけで良いのに。どうしても纏わりついてくる。恋をするならあの詩のように淡く切ないものがいいだけなの。

 

「逃げる、か?」

 

逃げ道があるなら、そこへ。

私は彼の腕を拒絶する。しかし彼は離そうとしない。

何故。

何故。

唯、何故、とだけが浮かんでは消えていく。涙が浮かんでは零れ落ちていく。その涙は地面につくと、かちりかちんと音を立てている。

「やっと見つけたんだ。ずっとずっと俺は探していた。は絵が好きだから、何処かひっそりとした美術館に居ると予測を立てていた。だから用もないあの美術館を襲った」

このまま、童話にあるように泡となり消えてしまいたい。

「あの邪魔な能力者は、こちらで預かっている」

預かって何をしているのか、知りたくもない。私にはどうしようもない。

、自分の名前を告げろ。そうすれば、元に戻る」

かちりかちんかちんと涙が落ちていく。

 

。逃げるな。俺から逃げても何も始まらないだけだ」

 

私は……。

?」

涙であったものが真っ白な光を放った。

 

 

 

 

「やっと目覚めたか」

鉄の匂いが近くからする。ベッドの上で横たわっているらしい。

ぼうっと視界をはっきりさせると、赤い。

びくりと体を強張らせると、誰かが頤に手を当てた。

そして私は唇を奪われた。

目が明いているので黒い睫毛や額の模様もくっきりと見ることが出来る。

「ん~っ」

手を突っ張って抗議するが、何処吹く風とばかりに長々と続けられる。

私の……。

「逃がさないと言っただろう?ハンター…能力者に頼んで目覚めないようにするなんて浅墓としか言えないな。おまけに足まで怪我させて」

口の端を上げて言ってのける。何故、私が彼と共にあるのか分からない。

「血まみれにするなよ」

そう言うとべちゃりとした何かが足の裏に触れた。それで足の裏を拭う。白いものが鈍い赤に染まっていく。時々傷に触れて痛みを感じた。

「あれから5年。俺がどれだけを探したと思っている。諦めろ。お前は俺のものだ」

クロロ=ルシルフルはそう言うと私にキスをした。今度は何度もまるで噛むようにキスをしては離れ、また噛み付いてくる。そんなキスだった。

「他の奴のものになるのは許さない。俺から逃げることも許さない。狂おしいほどにに惚れている」

ふるふると眦から涙が零れ、落ちるとぱたぱたと小さな音を立てる。

以外の連中は全滅させた。俺だけの至宝だ。「露草の面影(ティアーズ・コムニス)」を見ても触っても良いのは以外では俺だけだ」

怖い。

クロロ=ルシルフルの赤が何を示すのか分かったのもある。それが誰のものかも。

私の涙は念と呼ばれるものらしい。けれど私達村の女性には涙を流すと、こうして結晶化していたので、不思議にも思っていなかった。

結晶は人に因って色が違っていた。私は青い色の結晶を零した。

「どうして」

「どうして?気に入ったからだ」

「飽きたら殺すの?」

「飽きる?ああ。飽きたら殺されるとでも思っているのか。心外だな。何もかも忘れている薄情者が」

何のことだか、さっぱり。

「ふん。慣れていないとはいえ、村を全滅させられた光景を目の当たりにした位で全て忘れてしまって。目覚める度に名を訊かれるこっちの身にもなれよ。村を出ると俺に怯えて突然姿を消すし、人のことを忘れるし、ふらふらするし、人のことを忘れるし」

拗ねてきてない?

「あの……」

「何年探したと思っているんだ。しかも変な奴に協力までさせるし」

あのハンターとかいう人のことだろうか。

「その菫色の瞳で男を誘惑して」

論点ずれてきていませんか?

「許してと何度泣いても許さない」

「ちがっ、ちょっと」

「問答無用」

「あ、あの…」

忙しなくシャツを脱いでいく。私が逃げようと体を捻らすものの足を固定されて、それさえも出来ない。

男性の上半身だけとは言え裸など見たことのない私は狼狽えどうしたらいいのか分からず視線を泳がしてしまう。

「逃げるなら捕らえるだけだ。、お前は俺のものだ」

溢れる涙がころころと私の顔に落ちていく。クロロ=ルシルフルはそれを1つ摘むと、くすりと笑んだ。

「先ずは俺の名を呼んでもらおうか?」

どうやら私はこの人から逃げることが出来ないようだ。けれど私は小さくかぶりを振った。すると彼は私にキスをし、囁いた。

「面白い」

と。

 

 



「強引なクロロから逃げまくるけど、逃げきれていないヘタレ主人公」というリクエストを元に書いたのですが、如何でしたでしょうか?如月さんが何処か一場面でも「好き」と気に入っていただけると嬉しいです。
ヘタレ=弱弱しく気力に乏しい様。またはそのような人。動詞「へたる」の変形、または「屁垂れ」等の諸説がある。

 

 

 

 

メッチャ可愛いです!!如月の夢主では有り得ない可憐さですね。
本当にありがとうございます!!